オルタナティブへの期待


 ボクがバイクに乗り始めたのは、1970年代に入ってすぐの頃です。

 1960年代は、変化の時代でした。中国の紅衛兵運動、アメリカで起こったベトナム反戦運動、パリのソルボンヌ大学に端を発する5月革命、そして日本では安保闘争と大学紛争、世界が動いていました。同じ頃、カルチャーの世界でも大きなうねりがありました。ミュージックシーンではウッドストックで伝説的なコンサートが開催され、アートシーンではアンディ・ウォーホルなど現代美術の旗手が脚光を浴びました。
 こうした60年代の大きな動きを、社会全体がまだ引きずっていたのが、バイクに乗り始めた1970年代の初め頃です。1960年代後半のアンダーグラウンド・カルチャーがサブカルチャーに昇格し始め、少し落ち着いてきた頃です。それでもまだ、ミュージックもアートもファッションも、そして世界中の何もかもが騒然と面白かった時代だったと思います。

 この1970年代は、モーターサイクルという乗り物が生き生きと輝いていた時代だったように思います。モーターサイクルは、さまざまな分野のサブカルチャーのシーンにおいて、なくてはならない小道具でした。ニューシネマの名作「イージラーダー」はあまりにも有名です。しかし、60年代から70年代の映画でボクがもっと印象に残っているバイクのシーンがあります。ニューヨークに暮らす若い男女の日常を描いた「ジョンとメリー」という映画で、主人公の女性(確かミア・ファロー)がグリニッジビレッジの街角をスーパーカブの前のカゴにフランスパンか何かを入れて走っているシーンです。街に溶け込んだその姿は、とてもカッコよかった。
 グリニッジビレッジと言えば、1970年代半ばの一時期、ボクはニューヨークに住んでいました。さすがにグリニッジビレッジはかなり通俗的な場所に成り下がっていましたが、SOHO一帯やイーストビレッジあたりはまだ60年代の活気を残していた頃です。ビートニクからサブカルチャーへ、わけのわからないエネルギーが渦巻いました。当時、イーストビレッジのさらに東の外れのバワリーに、「CBGB」というクラブがありました(今もあるけど)。パティ・スミスやラモーンズ、トーキング・ヘッズなどが出演し、「マクシス」と並んでニューヨーク・パンクの発祥の地となったクラブです。かつて、このCBGBのすぐ隣には「ヘルスエンジェルス」の溜まり場がありました。革ジャンや革のベストを着たヒゲ面の大男がハーレーに跨ってたむろしていました。もっとも、その頃はもうみんなオジサンだったけど。ニューヨークの片隅にも60年代のバイク乗りが生きていた時代です。
 1970年代の初め頃、日本では暴走族が誕生しました。彼らはサブカルチャーとは無縁の粗野な存在だったけど、それでも時代の空気は確実に反映していたように思います。当時のATGの映画には、幾度となくライダーが登場した記憶があります。そして、柳町光男監督の映画「ゴッドスピードユー! ブラック・エンペラー」。この映画の宣伝用コピーは、「心優しき少年達、うまくやれよ…」だったと記憶しています。「爆発ナナハン族」など東映の暴走族映画も、チャチだったけど何となく忘れられません。

 さて、昔話はこの辺にしておきます。サブカルチャーと称された一群のスタイルは、現在はオルタナティブ・カルチャーとして引き継がれています。ミュージックや映画、演劇、そしてアートシーンには、オルタナティブが確実に存在します。でも残念ながら近頃のバイクにはオルタナティブがありません。かつて、バイクの存在自体がオルタナティブの匂いをプンプンとさせていた時代があったのに、今のバイクにはそれが感じられないのです。
 ここのところ、レトロブームとやらで、SUZUKIがかつてのウルフそっくりのバイクを作り、HONDAはCL50で同じくストリートスクランブラーを模しました。そしてYAMAHAはなんとSRそっくりのYB50です。さらにはHONDAからCL400が登場、カワサキはあの「ダブワン」W650のリメイクときました。これらは全部、60年代後半から70年代初め頃のバイクを形で模しているだけで、時代の流れの中から自然に産まれるオルタナティブとは程遠いものです。

 インターネットの急激な普及、メディアの変貌、価値観の変化など移りゆく時代の中で、バイクはもっと本質的に変わってもいいと思います。ちゃんと時代に合ったテクノロジーを身に纏い、それでいて単なるレトロではない新しい傍流が生まれて欲しい。
 別に最近のバイクに不満があるわけではありません。また昔が良かったと懐かしんでいるわけでもないのです。ただ、もっとワクワクするような、時代の空気を反映し、バイクフェチがふるいつきたくなるような、そんなバイクがあったらいいなあと思う最近です。

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